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今だけは熱のせいにしないで。
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それはもう、最初はほんの出来心からだった。
「……っ」
本当に、ただ、少し興味が沸いただけ。
「…えっと、ねんれ、い…は……」
時刻は深夜1時を回ろうとしていた。部屋の明かりを最大限に落とし、でも目が悪くならないようにとなるべく明かりの近くで、1人の少年――眞(ま)白(しろ)陸(りく)が、携帯の画面とにらめっこをしていた。
「…………だいじょうぶ、かな……やっぱりやめ…」
いいや、と彼は首を振る。ここまで細かな設定をしたんだ、と思い切って画面右上にある投稿ボタンをポチっと押す。陸が見ていた画面には『投稿しました。』という文字が浮かび上がっていた。再び画面をタップして、ホーム画面に戻ると、自分の投稿が一番前に浮上する。
『名前 シロ 成人済みのゲイです。初めてこのサイトを使いました。誰でもいいので、少しお話がしたいです。』
突然だが、眞白陸はゲイである。それに気が付いたのは3年程前の事だった。映画好きな両親の影響で、小さい頃から色んな映画作品を見ていた陸は、年齢が上がるにつれ、見るジャンルも増えていった。そんな時、とある映画のワンシーンで、少し過激な描写があり、その時に演じていた男性の役者に恋をした。すごくドキドキして、初めてその時に自慰行為までしたのは懐かしい思い出である。それからというもの、クラスの男子たちが内緒で持ってきていた所謂エロ本というものに全く唆られず、寧ろ自分はソッチ側なのだと自覚させられたほどだった。
そしてそんな彼が今何をしていたかというと、ゲイ専用のマッチングアプリにある投稿をしたのだ。
高校生になってから、陸はゲイだという事を隠すようになっていった。そのせいで友人との付き合いは段々と悪くなっていき、気が付けば1人になったまま高校3年生になっていた。だから投稿内容の成人済みというのは嘘である。陸なりに色々調べたところ、そういった場所への書き込み等は、学生が一番危ないと書かれていたから。犯罪になるケースも少なくない、と。最近は犯罪になることを恐れて、〇年生ですという書き込みを見ると逆に反応が悪いそうで、どっちにしろ陸には良いことが何一つとしてなかったため噓をついたという始末だ。
「……やっぱり少し怖いな…投稿を消すか…」
数分間悩んだ結果、やはり高校生では恐怖心の方が勝ってしまい、すぐさま投稿を消そうと自分の投稿をタップして左上の削除ボタンに指を触れさせた瞬間、ある1通のコメントが陸の投稿に寄せられた。
『初めまして。アイコンの写真って、先月公開された映画のものですよね?僕も見に行ったんですよー。かなりマイナーな作品だから、こんな所で知っている人に出会えると思ってなくて思わずコメントしてしまいました笑』
恐る恐るそのコメントを見てみると、陸が思っていたことと180度違ったそれに、つい呆気に取られてしまった。
「…まさかこの映画を見に行っていた人とこんな形で出会うなんて…」
陸のアイコンの写真は、確かに映画館に着いたとき、壁に飾られていたポスターを記念にと撮った写真だった。コメントの人が言うようにこの映画はかなりマイナーで、知る人ぞ知るといった感じの映画だった。何か返さねばと陸は返信のところをタップする。
『知ってるんですか?オレ、小さいころから映画が大好きで、色んな映画を見て来たんですよ。』
その中でもこの映画が、あとこれも…と話していくうちにだんだんと楽しくなってきて、先程までの恐怖心はどこか遠い彼方へと飛ばされてしまった。
暫くは投稿のコメント欄で会話のやり取りをしていたが、いつ誰がこの投稿を見ているか分からないし、もう少し長く話すなら、と言われ一度その投稿は消してチャット画面に移動した。
『ここでなら、気兼ねなく話せるね』
『そうですね。ありがとうございます。オレ使い方全然分かってなくて』
『大丈夫だよ。改めて、僕はアヤです。呼び方はシロくんでいいかな?』
『大丈夫です。よろしくお願いします』
こうしてアヤという、共通の趣味について話せる知り合いが出来て陸は少し浮かれた気分だった。
そんなある日のことである。普段はサラリーマンとして働いているというアヤが珍しく夕方に連絡してきた。いつもは夜遅くまで働いているので、話す時間帯は深夜頃と2人で決めていた。陸は学校から帰ってきて、両親からは朝に帰りが遅いからと言われていたので1人で夕食の支度をしているところだった。ちなみに明日は入試試験があり、この辺の学校はみんな休みのため、陸と違う学校に通っている妹は友人の家に泊まりに行くと言っていたので、今は陸1人である。
『ねぇ、シロくんはかぜのとき、何をたべる?』
陸はいきなりの質問に困惑してしまった。かぜのとき、とは恐らく風邪を引いたときの事だろう。えぇっと…と思考を巡らせ、いつも母親が作ってくれる料理を画面に打ち込んでいく。
『えっと、暖かいうどんとか、お粥とかですかね…とにかく体に良いものを食べるようにはしてます』
『お粥ね、ありがとう』
アヤの意図が掴めず、陸は頭にハテナを浮かべる。色々と考えていると、夕方に連絡してくることと、漢字の変換がうまく出来てないのが気になりだして、何かあったのではと思い、大丈夫ですかと送信してみることにした。
『夕方に連絡してくるなんて珍しいですね。何かあったんですか?』
すると数分、いや数十分かもしれない時間が経った後、やっとアヤから返信が来た。
『大丈夫だよ、今日ははやくしことが終わったからかえらせてもらったんだ』
『そうなんですか。風邪が流行っているので体調には気を付けてくださいね』
そう送信するとまたすぐに返信が来なくて、陸はもしかして、と思った。
体調が悪くて早めに仕事を上がらせてもらったのでは、と。
アヤさん?と聞くと、案の定返信が来ない。マズイ、と思った瞬間にはもう指が動いていた。最近知ったのだが、このサイトには通話機能があるらしく、陸は上の方にある電話のボタンを迷いなくタップする。
「無事でいてくれ…!」
数回のコールのあと、はい、と明らかに具合が悪そうな男性の声が聞こえてきた。声もかなり低く少し掠れていた。そこでやっと自分が顔も本名も知らないネット上の知り合いに電話を掛けたのだと自覚して、途端に怖くなった。
だが、今まで話していて怖い人とか危ない人だとは思わなかったので、勇気を出して声をかけた。
「あ、あのっ、オレ…し、しろです……急に電話をかけてしまい、そのっ、すみません…っ、様子がおかしかったので、あのその、もしかしたら体調が悪いのかなって、思って……」
無事なら大丈夫なんですけど…と震えながらも話しかける。沈黙になるのが怖くて、とにかく喋った。
『…っ、ふふ、だいじょう、ぶだよ…疲れててちょっと、ねむた…げほっ……ぐ、ぅ……あ、やば』
やば、と聞こえたと思ったら次の瞬間、ドッ!という鈍い音と共にバサバサと何かか落ちる音が聞こえてきた。明らかに大丈夫ではなさそうな状況に、思わず陸は叫ぶ。
「あ、アヤさん!?す、すごい音、しましたけど…だ、大丈夫ですか……いや、質問を変えます…大丈夫ではないですね?」
陸が何かできることは、と言いかけるとアヤはいきなりある場所の住所を言い出した。
『……〇〇区、△△ちょうめの、マンショ、ン……ゴホッ…いちまる、にごう……』
アヤが住んでいるマンションだと瞬時に理解した陸は、少し待っていてください、とだけ言い残すと通話を切り、親に連絡をする。
『友人が風邪を引いたらしくてお見舞いに行ってくる。帰りは遅くなる。』
それだけ打ち送信をすると、返信を待たずに大きめの鞄に食材を詰め込み家を飛び出した。
アヤの住んでいるマンションは電車に揺られること数分で着いた。駅のすぐ近くにある大きめのマンションだった。
「大きいな…えっと、102…」
以前会話の中で、会うのはまだ怖い、などと言っていたのを思い出し、陸は自分の度胸に思わず感心してしまった。震える手で部屋番号を押し、呼び出しを押す。ピンポーン、と無機質な機械音がやけに大きく聞こえた。数秒も経たぬうちに隣の自動ドアが開いた。緊張しているのかドアが開いただけなのに大げさに驚いてしまった。震える足に鞭打ってドアを通りすぐ目の前の部屋の前まで行こうとしたら、部屋のドアが開いて中から1人の男性が出てきた。
「…っ、シロくん、だね…はじめまし…っ」
「あ、危ない…っ!」
壁に這わせていた手から力が抜けたのか、その男性――アヤはその場に崩れ落ちそうになる。咄嗟に陸が体を支えてなんとか倒れることは免れた。
「す、すまない…はぁ……っ」
「やっぱり熱が……あ、あの…っ、てきとうに材料、を、持ってきたので…だ、台所、を…お借りしても、よろしいでしょうか……!」
いざ面と向かって話すとやっぱり怖かった。さっきの電話の時よりも声が震えているのが分かる。でも辛そうなアヤを見ていると、妹が病気で苦しそうにしていたことを思い出して、いてもたってもいられなかった。アヤさんはベッドで休んでいてください、と言って陸は部屋へお邪魔する。
「お、お邪魔します…」
「なにから、なにまで…本当にすまないね……ゲホッ、ゴホッ……」
アヤは辛そうながらも壁を這いつくばってベッドまで移動し、寒いのか布団に包まった。取り敢えずおでこに冷却シートを貼り、体温計を渡す。
「…その辺の調理器具は、かって、に使っていいから、ね…」
普段使わないから綺麗だと思うよなどと言いながらアヤは相当辛かったのかスースーと規則正しい寝息を立てて、体温計を挟んだまま眠りについてしまった。
「普段使わないって…いつもご飯どうしてるんだ……」
思わず声に出てしまった陸の呟きは、寝ているアヤには聞こえていないみたいだった。ふぅ、とため息を一つつき、家から持ってきた材料で料理を始めた。
暫くして野菜を洗っているとピピピッと機械音が聞こえ、体温が測り終わったことを知らせる。陸は一旦野菜を置き、アヤの寝るベッドまで行くと、体温計を取るため近くに立ち膝をした。すると自然に目鼻立ちが整ったイケメンの顔が目に入る。
「し、失礼します………やっぱかっこいいな……まつ毛長いし…髪もサラサラ…顔立ちもいいし、肌も」
「し、シロくん…そこまで、言われるとさすがに…照れる、と言いますか、なんといいますか……」
起きているとは思わなかった陸は、ビクリと肩を震わせ、声にならない悲鳴を上げた。寝ていたと思っていたし、何よりも今の事が声に出ていたことが陸にとって最大の驚きだった。頭の中で思っていたことがまさか声に漏れているとは思いもしなかった陸は、すべて聞かれてしまったこと軽くパニックになり、これでもかというほど顔を赤くして黙りこくってしまった。
「…ふふ、シロくん、みたいなかっこいい人に、褒められて光栄だよ…」
サラリ、とアヤが陸の髪を撫でる。ほんの少しだが寝られてスッキリしたのかアヤは先程よりも顔色が良く、普通に喋れているように感じた。それでも触れられた箇所が熱く感じるのはアヤの手が熱くなっているからか、それとも…。
「そっ、そんな……かっ、こいいなんて…」
「ねぇ、ここに来るとき、怖く、なかったの…?」
それとも、オレの顔が熱いからか…。などと考えながら震える声で何とか受け答えしている陸に被せるようにアヤが質問してきた。怖くなかった、と答えればそれは嘘になるが、電車に乗っている時は全く恐怖心などは無く、先程も言ったが、マンションについてやっと初めて会うのだと自覚したまでだった。
「……ま、マンションに着くまでは、その…全然怖いとか一切なくて、と、にかく無事でいて、ほしくて…」
部屋番号押すのだって震えたし、呼び出し音だってとんでもなく大きく聞こえたし、すぐ目の前なのに部屋に行くときに足が震えて動かなかった。それでも、部屋から出てきた人が、優しそうな眼をしていて、具合悪いのにわざわざ出迎えてくれて。それでいて顔がイケメンなのだから恐怖心などはどこかへ飛んで行ってしまった。それでも話すときはまだ緊張しているのか少し声が震えてしまう。陸がここに来るまでに感じた事を素直に口に出して話すと、アヤは盛大にため息をつき、ボソリとこう呟いた。
「………可愛すぎるでしょ……」
「かっ…!?」
顔から湯気が出そうなほど赤くした陸はキャパオーバーと言わんばかりにその場にシナシナと萎んでいく。そんな様子を見ていたアヤは、ごめんね、と謝りだしたので陸はそろそろと顔を上げる。
「今、僕は熱のせいで、頭の中ごちゃごちゃしてるから……あんまり言ったこととか、真に受けなくてもいいから、ね…」
でも、君が可愛いのは本当だよ、と言って司の目元をすり、と親指で擦る。ゆっくりと撫でられ、可愛い娘を見る父親のような瞳で見つめられれば、何もかも初めての陸はぶるりと身震いをしてしまう。
「んぅ…っ、あ、アヤさ……」
ドキドキと高鳴る鼓動は速度を増していき、その音はすぐ目の前にいるアヤに聞こえてしまうのではないかというほど大きかった。体中が熱く、変な汗が噴き出る。
「……怖い…?」
陸は無言で首を小さく左右に振ると、アヤはふふっ、と柔らかく微笑んだ。そのままアヤの手は段々と下の方へ下がっていき、耳、首、鎖骨と順に触られる度に、陸はビクッ、と震えてしまう。
「ふっ…ん……」
「…このまま抱きしめて、キスをして、その先も……。なんて、今日会ったばかりなのに、ね…。やっぱりまだ熱が下がってないのかな」
するりと陸から離れていくアヤの手を陸は無意識に掴んでいた。キュッと弱々しく握り、覚悟を決めたようにアヤの方を見た。
「…シロ、くん……?」
「…っ、き……キス、なら……っ。しても、いいっ、です………」
陸も高校生だ。少なからずそういったことに興味がないわけではない。寧ろ気になる年頃だ。緊張と恐怖が入り交じり、うまく息ができない。呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息苦しい。
でも…。
「…っ!い、良いのかい……?か、風邪が感染(うつ)ってしまうかも…」
それでも、やはり欲には勝てなかった。
「いっ、いいです……お、オレ、風邪をあまり引かないので…」
陸は少しアヤに近づくと、ギュッと目を瞑る。アヤの手が、陸の耳元へ移動する。
「……じゃあ…マスクを、外しても…?」
こくこくと何度も激しく首を縦に振ると、柔らかく微笑んだアヤは片耳に手をかけマスクの紐を取る。
「…マスク越しでも感じていたけれど……真っ赤だね…」
かわいい、と言われふにゃりと顔を歪ませられれば、陸の顔は今以上に赤く染まる。それはもう、茹でダコのように。
「ぁ…ぇ、そのっ…お、オレ……っ、は、はじめてで…あの、その……っ」
「…っ、うん。大丈夫、ぼくも、ハジメテだから…」
痙攣が起きているのではないかというほどに震える身体、声。風邪を引いていて熱があるアヤよりも熱がありそうなほど熱い顔。
今、この状況で――――。
「……目を、閉じて…?」
熱に浮かされているのは、どちらなのか。
「は、い……」
熱い息が、陸の鼻にかかる。目を閉じていても、アヤの顔が近くにあることが分かる。先ほどより大きな音を奏でている心臓は、それはもう壊れるんじゃないかと心配になるほどで。
「…んっ……?ぇ、ほっぺ…た?」
「ふふ…。これで少しは、緊張がほぐれた、かな…?」
きゅっ、と力強く目を閉じた陸だったが、思っていた場所とは違う場所に来た感触に思わず目を開けてしまった。口にされると思っていたキスが、まさか頬にされるとは思ってもみなかった。でもそれが、陸の緊張を解すためだと知ってしまえば、落ち着きを取り戻しかけていた心臓は、再び大きな音を奏で始める。
「ひぇ…ぁ、えっと、その……」
「今度は、くちに、するから…ね?」
何を言えばいいか分からず、言い淀んでいる陸を放っておいて、アヤは親指で綺麗な陸の唇に形を確かめるように触れ、ふにふにと感触を楽しんでいる。
「……ぁ」
「…ん、ぅ……」
アヤの手が両耳に添えられたのを合図に、陸の口が塞がれる。
一瞬触れただけ、なのにとても長く感じてしまった。先ほどと同様、うまく息ができない。酸素を求めてはっ、はぁっ、と小さい呼吸を繰り返す。
「…ふふっ、きす…って、こんなに気持ちがいいもの、なんだね……」
わけが分からず涙目になっている陸の目元を擦り、目尻の涙を拭いながらアヤは心底幸せそうな顔をする。
「そっ、うですね……」
頭がふわふわして心地よい。この感じに陸はクセになりそうになった。息が出来なくて苦しいはずなのに、もっと、もう一回、と求める自分がいて、陸は自分が自分ではない気がして怖くなった。
そろ、と陸がアヤの服の袖を掴むと、もう一回、という意を込めて金色の綺麗な瞳を見つめてみる。揺らめくトパーズ色の瞳に察したアヤは再び顔を近づける。
刹那。ぐぅ~…とこの場の雰囲気を壊すような音が2人の間に鳴り響く。アヤのお腹の音だ。そういえばご飯を作っている途中だった、と思い出した陸は途端に恥ずかしくなって、勢いよくアヤから遠ざかった。
「すっ、すみません、オレ……っ」
「いや、僕の方こそ……ごめんね。空気読めないおなかで…」
あはは、と乾いた笑いを零しながらお腹を摩るアヤ。一刻も早くご飯を作らねば、と陸はキッチンへ戻るために立ち上がる
「あ、アヤさんは寝ててください。オレ、ご飯作ってきます…」
「うん……?あれ、さっきも同じこと、言っていたような…?」
ありがとうと言いかけたアヤは数分前と似たようなことを言われていることに気づき、頭にハテナを浮かべる。すると陸が何かを思い出したようにあ、と声を上げた。
「あ、体温計の音が鳴ったから…取りに来たんでした……」
忘れてました、と再びアヤに近づくと脇に挟んであった体温計を渡される。
「そう言えば、挟んだまま寝てしまっていたんだね…はい。熱はまだ高いから、横になるよ」
ご飯が出来たら起こして欲しい、と言い残しそのままアヤはぽすん、とベッドへ横になった。
「い、急いで作ります……っ!」
陸は急いでキッチンへ戻り、野菜を切ったりコンビニで買った白米を温めたりしてご飯を作ったのであった。
「あ、アヤさん…ご飯出来ました、けど……食べられそうですか…?」
近くにあったお盆に眞白家直伝のお粥と、水とドラッグストアで買ってきた風邪薬を乗せてベッド付近まで行く。先程は気にならなかったが、部屋の真ん中に置いてある小さなテーブルには仕事の書類らしきものが散乱していた。先程の電話で鈍い音を立てていたのはこれだったのか、と陸は思った。ぶつけた衝撃で書類やファイルが、ぐちゃぐちゃになったのだろう、と。
「…ん、おや、出来たのかい…?ありがとういただくよ」
アヤはベッドから起き上がり、膝の上にお盆を乗せてあげると、そのまま固まって動かなくなってしまった。不思議に思った陸が覗き込むと、熱で赤いはずの顔は真っ青に染まっていた。暫くしてボソボソと何かを喋りだした。
「……や、やさい、緑の……これ、やさいだよね……?」
「…アヤさん……?も、もしかしてネギ、アレルギーとかでしたか…?」
陸はクラスメイトがネギのアレルギーになったと話していたのを思い出した。喉が痒くなったとかで、ラーメンが好きなクラスメイトが悔しがっていたのを覚えている。
「い、いやアレルギーなんてものじゃないんだ…その、野菜全般が…苦手、で………」
この歳で面目ない、とアヤは頬を人差し指で掻きながらあははと乾いた笑いを零す。
「苦手って……少しでもいいので食べてください。体にはいいので…」
「そんなぁ…」
うぅ、と嘘泣きをするが面白くて、ついくすりと笑ってしまった。
「ふはっ…」
そんな陸につられてアヤもふふ、と笑ってしまった。
「せっかくだし、少しは食べてみようかな」
「ご馳走様でした。とても美味しかったよ」
野菜は端の方に避けられているが、お粥自体は残さず綺麗に食べていた。
「ありがとうございます。食器洗っちゃうんで、アヤさんは横になっていてください」
「…すごい世話焼きさんだね。兄弟とかいるの?」
つい口に出してしまってアヤはすぐ後悔した。
相手のことを知って、深みにはまってしまったら、抜け出せなくなるのが怖くなったから。本気で好きになって、振られたりしたら…なんて考えて、この関係が崩れるなら、今までのように深夜にチャットで話す、そんな関係のままでよかった。そう思った。
「下に妹がいるんです。昔から体調を崩していて親の手伝いをしていたので。今では元気に学校に通えてて嬉しい限りですけど」
そんなアヤの気持ちを知らずして食器を洗いながら話す陸。だめだ、と分かっていても口は次の言葉を発してしまう。シロくんを知りたいと本能が疼いて仕方ない。
「元気に通ってるって…妹さんと2人暮らし?」
「あ」
「?」
ぴしり、と固まった陸にアヤは疑問を抱く。シロくん?と声をかけると陸は恐る恐るアヤの方を見た。
「す、すみません……オレ、その……年齢、偽ってて……」
なんだそんなことか、とアヤは大丈夫だよと言う。
「マッチングアプリを利用している人なんて大半が年齢偽ってるよ。きっと」
マッチングアプリを使って結婚までいける人は数少ない。ましてや2人が使っていたのはゲイ専用のアプリだ。結婚まず無理だし、年齢を偽るのなんて普通のことだろう。むしろ体の関係に至っていないアヤと陸たちの方が、よっぽど珍しい。
「ちなみに…何歳、とか聞いてもいい…?」
「じ、18です……」
「なんだぁ18かぁ…え!?未成年!?」
ガバッとベッドから飛び起きたアヤに陸はビグっ、と体を震わす。
「す、すみませんずっと騙していて…」
「いやいやそこじゃないよ……未成年が遅い時間までこんなおじさんの家にいてはだめだ」
警備員や警察の目に付く前に家に帰った方がいい、とアヤは半ば強引にカバンとコートを持ち出し陸の背中を押し出す。
「で、でもまだ食器が…」
「いいよそんなの」
「せめて、コップの水を替えてから――」
「シロくん、あのね…。今の時代、色々と厳しいんだよ。同性同士は特に」
君のご家族にも迷惑がかかってしまう。だから…。
そう言って扉をバタンと閉めた。
「…っ、」
陸は立ち尽くすしかなかった。
暫くして扉の向こうから声が聞こえた、気がした。
「……君に後悔して欲しくないんだ…」
「…お、お大事になさってください……」
その声は、震えていたような気がした。陸自身でも分からなかった。目の前が真っ暗で、どうしていいか分からなかった。それでも家を追い出されたからには陸も帰らないといけない。携帯を取り出し、時刻を確認するとまだ19時を回っていなかった。
「………遅い時間なんて、嘘じゃないですか……」
仕方なく陸はマンションを出て、駅とは反対の道に進んだ。
「最初から未成年だって言ってれば…少しは違ったのかな……」
でも、それならいくら風邪だっていっても会ってくれなかったかも…。
とぐるぐる悩みながらも陸は普段来ない街なので買い物をしてから帰ろうと商店街に行く。帰宅ラッシュなのか、スーツを着た人達でわんさか賑わっている商店街は、陸の目の惹くものばかりだった。流行りの飲み物やスイーツ、ファッションなど様々な物が並んでいた。
「あれ、雪(ゆき)穂(ほ)に似合うかもな…」
手に取ったのはヘアゴムだった。ハート型で、ピンク色と黄色の2色セットだったため、勉強を頑張っている妹へお土産にと陸は買った。
「…電車の時間そろそろだな……帰るか…」
携帯を見ると、お店でかなり時間を潰せたので電車が来る時刻が迫っていた。先程のマンションの近くまで戻り、駅に入ろうとするとマンションの近くに救急車が止まっているのが目に留まった。よく見ると人がたくさん集まっている。
まさか、いやでも…違うかもしれない…けど……。
ザワザワと胸の奥が落ち着かない。嫌な予感が拭えず、陸はマンションへと足先を変えた。
「す、すみませんっ…通してください…」
人の間を縫ってなんとかマンションの前まで辿り着くと、そこには思わぬ光景が広がっていた。
「……っ、」
「大丈夫ですか?動けますか?」
救急隊員に支えられながら起き上がろうとしているのは、薄着姿のアヤだった。
「あ、あのっ……!オレ、その、この人の……し、親戚で!風邪気味だって聞いたから戻ってきたんです…!」
後はオレがやるんで大丈夫です、と隊員からアヤを引き取り、部屋へ戻った。
部屋に着くなり2人とも無言のままで気まずい雰囲気が流れてた。痺れを切らして最初に口を開いたのは陸だった。けれども声を発しようとしてそのまま固まってしまった。
アヤがボロボロと涙を零していたから。
「あ、アヤさん…!?どこか痛いんですか!?というかまず、寒いでしょうから布団に……」
「…めん………ごめんね……っ、僕、君に酷いことを……っ」
陸が動こうとすると、アヤはひたすらにごめんと謝る。ずびっ、と鼻を啜りながら何度も謝られる。
「え、と……」
「…僕、君に後悔して、ほしくないって…言ったのに、なのに、1人になった途端…ばかみたいに、後悔、して……ごめんね、自分勝手で、ごめん……っ」
陸は近くにあったタオルケットを肩にかけてやると、そのまま話し出した。
「オレ、も……その、未成年だって、最初から言っておけば…なんて、後悔しました。そしたら何か変わったのかなって……」
でも、もし最初から言ってたとしたら、こんな風に家に上がって看病だなんてさせて貰えなかったかもしれない。それならば、陸は嘘をついてて良かったとも思う。
「オレは……あの時、き、き すをした時に確信しました……さっきも言いました、けど、アヤさんのこと、かっこいい…って思ってて、それで…」
それで、と言葉を繋げようとしたら途端に目の前が真っ暗になった。突然の事過ぎて、アヤに抱きしめられたんだと理解するのに少し時間がかかった。元々ベッドを背もたれ代わりにして座っていたアヤに抱きしめられ、陸はアヤに跨る形になってしまった。
「…薄々そうなんじゃないかって思っていたんだ。初めて会った時、成人済みの割には背が低かったから。でも、そんな年齢なんて些細なこと、気にならなくなるくらい、君に夢中だったんだなって……今なら分かる気がする…」
あの日の夜、映画のことを話した時点でもう君に恋していたんだ。
なんて言われれば、胸の中のモヤモヤが嘘のように晴れていく。
「ぁ…」
「…シロくん…君にはまだ未来がある。僕なんかよりもいい人と付き合って結婚して…家庭を築いていったほうがご家族にも喜ばれると思う」
でもね、とアヤは続けて話す。抱きしめている腕を緩めて、両手で陸の頬を包み、じっ、とトパーズ色の瞳を見つめる。
「でもね、僕は…君さえよければ、このまま一緒にいたい…と思ってしまったんだ。もう二度と、手離したくないって…」
「……っ!」
ゆらり、とトパーズ色が揺れる。ぱち、と瞬きをすれば大粒の雫がつう、と頬を伝ってぽとりと落ちる。
「な、泣かないでよ……君には、笑っていてほしいから……」
すり、とアヤは親指で目元の涙を拭う。
「………一緒にいたい、って、オレ、に恋していたって言葉は、熱のせいですか…?」
陸は確定的な言葉が欲しかった。熱のせいで頭が混乱してるから、と言われたのは数時間前の話。あの時からは薬も飲んでいるので熱は下がっているはず。
けれど、陸はつい甘えて、ワガママを言ってしまった。
「……今だけは熱のせいにしないで…」
ちゃんと本心だよ。
そう言われれば認めざるを得ない。さっきまでの胸のつっかえが取れ、きゅんきゅんと締め付ける痛みは恋によるものへと変化していく。
「……っ! オレも、アヤさんが、好きです…っ!」
「絢斗(あやと)…」
「…?」
思わず抱きついてしまったが、アヤから発せられた言葉に体を離すと、ふにゃりと顔を歪ませて幸せそうに微笑む男の姿がそこにはあった。
「奥村(おくむら)絢斗…僕の本名だよ」
「あ……えと、ま、眞白…陸です…」
「陸くん、ね。いい名前…」
ふふ、と絢斗が笑うと自然につられて陸も笑う。
「これからよろしくね、陸くん」
「こ、こちらこそ、お願いします…あや…と、さん…」
どちらからともなく抱きしめ、お互いの想いを伝え合った。
2人の恋はここからスタートしたのだった。
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